水飼家伝承資料館


水飼家は宇多源氏の裔、近江源氏佐々木家の一族で尼子から始まりました
写真1
写真1は当家に残された、江戸時代初期西暦1600年頃の系図書です。 佐々木太郎定綱の孫、左近尉広信の息子左近宏隆が近江国尼子村に住し、 尼子左衛門太郎と号す、とあります。 9代尼子晴久の時代に7ヶ国の大主になりましたが、宏隆の時代に、 領地悉く毛利元就に奪われたと、記されています。


尼子次男相続の中井家が水飼家の祖
写真2
写真1の左端に、中井家は尼子の次男相続で、初名尼子又之助といい、 冒頭に近江国愛知郡中井村を領したため、家号を中井と称したと 記されています。 写真2は江戸末期の頃1770年時代の家系図で、中井家は幕末最後の川越城主 松井康映公、康福公の家臣でした。 現在中井家の墓誌は右端の中井四郎左衛門から始まっています。


砲術の名手であった中井四郎左衛門

写真3
松井藩主時代、中井家は砲術の元祖佐々木又兵衛尉から指南を受け、 大筒の名手でした。 安永念(1776年)9月に中井四郎左衛門が大筒打ちを若殿様にご披露し、 「天晴れ」とご褒美にキセルを拝領しました。その覚書が写真3です。 拝領したキセルは水飼家の家宝として現在も大切に保管しています。


中井家から水飼家へ
写真4
中井四郎左衛門のひ孫、中井兼吉に子供が授からなかったため、中井家の 親戚であった川越 長喜院22世住職 山本宗法と、茨城県稲敷郡の豪族 水飼三郎衛門の娘 いし との子の進を養子にしました。 婚姻届を出さぬ内に宗法が亡くなったために、進はそのまま水飼姓を 名乗っていました。進は中井家の養子になったものの、中井を継がず 水飼姓を通したため、進の子の茂が私という訳です。 進は長喜院住職になるはずでした。ところが寺を継がず東京神田神保町の 靴屋・丹羽本店に修行した後に、大正13年郷里の川越に中井靴店を創業しました。 写真4は昭和28年当時の中井靴店の写真です。 私が靴業界にご縁があったのは、父が靴店主で私が靴屋の息子だったからです。


一番古い古文書は「平家追い討ち」の感状

写真5
当家で一番古い古文書は写真4の、源頼朝からいただいた感状の写しです。 ご先祖佐々木盛綱が元暦元年(1184年)12月26日、備前小島に城郭を構えた 平家行盛攻めに、藤戸の海路3丁余りを馬500騎を率いて渡海し、 追い落とした佐々木盛綱を、希代の勝事と褒めたたえています。

写真6
この他当家には数多くの古文書が残されています。 毛利元就の軍門に下った後は、毛利家に属しましたが、 度々の軍功があり、元就の子 吉川元春の花押入り感状、写真6、 知行目録、免許状、佐々木家から寄せられた祝い状、 金子や紋付小袖拝領目録、先祖書などがあります。 この等の古文書に関しては、国学院大学・根本茂夫教授のご指導のもと、 川越市立博物館研究員の佐藤啓子さんに解読をしていただきました。
ページはここまで